私の二十代は、一枚の航空券と古びたバックパック、そして手のひらに収まるほどの小さな真鍮製南京錠と共にありました。大学を卒業し、就職という一般的なレールから外れて選んだのは、アジアの国々を巡るあてのない旅でした。その旅で、私の全財産とアイデンティティを守ってくれたのが、出発前に近所の金物屋で何となく買った、その南京錠でした。安宿のドミトリーに泊まれば、荷物を預けるための薄汚れたロッカーが一つ与えられます。そこにバックパックを押し込み、南京錠をかけた瞬間に訪れる安堵感は、何物にも代えがたいものでした。カチリ、というあの小さな金属音が、見知らぬ土地での無防備な眠りを約束してくれる、唯一の保証のように感じられたのです。南京錠は、私の旅の相棒であると同時に、様々な出来事の証人でもありました。タイの蒸し暑い夜行列車の網棚で、インドの埃っぽいバスターミナルで、ネパールの山小屋で、それはいつも私のバックパックのファスナー同士を固く結びつけていました。ある時、ベトナムの市場でスリに遭いかけましたが、とっさに掴まれたバックパックのファスナーが南京錠でロックされていたおかげで、被害を免れたこともあります。犯人が舌打ちをして人混みに消えていくのを、私は震える足でただ見送ることしかできませんでした。あの時ほど、この小さな金属の塊を頼もしく思ったことはありません。しかし、旅にはトラブルがつきものです。カンボジアの離島で、私はその大切な南京錠の鍵を、こともあろうに海に落としてしまったのです。その日の宿のロッカーには、着替えもパスポートも入ったバックパックが閉じ込められています。途方に暮れる私を見かねた宿の主人が、どこからか巨大なワイヤーカッターを持ち出してきて、いとも簡単にシャックルを切断してくれました。あっけなく二つに分かれた南京錠の残骸を見た時、私はその無力さと、それでも今まで自分を守り続けてくれたことへの感謝で、胸がいっぱいになりました。旅から戻り、日常が始まって久しい今でも、私の机の引き出しには、あの時切断された南京錠が大切にしまってあります。それは単なる錠前ではありません。異国の地で孤独と不安の中にいた若者を静かに見守り、ささやかな安心を与え続けてくれた、かけがえのない戦友であり、私の青春そのものなのです。